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にらめっこ

3月30日、今日の京都市左京区は晴れ。

食後の家族団欒のひとときに、次女が突然「にらめっこ」をしようと言ってきた。

大学生にもなって何を幼いことを言うのかと思ったのも束の間「にらめっこ」が始まったけれど、全員瞬殺。皆すぐ笑って涙を流すほどおかしくなって、総当たり戦でも3分もたたないうちに終わってしまった。

久しぶりにやった「にらめっこ」。
何年ぶり?

というか、誰が考えたんだこの遊び???

と、なんとなく調べてみたら、
起源は「平清盛」だと日本文学を研究している偉い先生が言っていた、というのが出てきた。

平清盛って、平安時代末期の武将で「平氏にあらずんば、人にあらず」って言った人で、
悪役のイメージが強いけど、その人がにらめっこで遊んでたの???

と思ったら、

今のような「笑ったら負け」というルールになり子供にも広まっていったのは江戸時代からで、
もとは、武士が相手を真正面から見据えて打ち勝つための真面目な訓練のようなもので、
目と目を合わせてにらみ合い、目をそらさなかった方が勝ちというもの。
鎌倉時代室町時代までは「目比べ」や「目勝(めがち)」などと呼ばれていたそう。

前述の偉い先生が言うには、
平家の繁栄を描いた平家物語の一部をわかりやすく絵にした書物に「目競」と書いてあり、
これは、平清盛が骸骨をにらみつけ、目力で退治したという話。
それが「にらみつける」となり、変化して「にらめっこ」という言い方になったと思われるとのこと。

 また日本の民俗学の父と呼ばれる柳田国男は、その著書の中で
「にらめっこ遊びの起源は日本人のはにかみを治すための訓練である」と説いています。

これは言い換えれば「人見知り克服法」でしょうか??

当時の日本人は、人と向き合う時、少し目をそらす習性があったそうです。
日本人がシャイというのは、今の世の話だけではなかったのですね〜。

ちなみに現代でも教育の現場で、コミュニケーション能力アップのために、
相手の目を見る練習になるからと「にらめっこ」が取り入れられているそうですよ。


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昼食

3月25日、今日の京都市左京区は雨のちくもり。

「お昼ご飯何食べたい?」と次女に聞くと、
しょっちゅう「インドカレー」とこたえてくる。

インドカレーといえばカレーだけでなくナンやらチキンティッカやら。

作るより注文。というか、何のためらいもなく即注文。

美味しいけど、昼に食べたら、おやつも晩御飯もいらないくらい腹持ちがいい。

毎回毎回なんでこんなに腹持ちがいいのかと調べてみたら、
インドカレーはジャガイモとかが入っていないから
日本のカレーよりもカロリーが低いけれど、ナンが高カロリー!
1枚400キロカロリーぐらいあり、チーズナンはもっと高カロリーなんだとか!

「美味しいものは脂肪と糖で出来ている」なんてコマーシャルがありましたが、
ナンもバターやら油でギトギトしてますもんね。


そんなカレーが初めて日本にやってきたのは江戸時代。

1863年、幕末の混乱をおさめるため、フランスのナポレオン3世に助力を求めようと
派遣された遣欧使節団のひとり三宅秀が、船に乗り合わせたインド人の食事風景を、

「飯の上にトウガラシ細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、
これを手にてかきまわして手づかみで食す。至って汚き物なり」

と、ちょっと批判的に記しています。


最初にカレーを食べた日本人として記録されているのは、
会津藩白虎隊の一員であった山川健次郎という、当時16歳の少年でした。

明治3年(1870年)、渡米する船内でカレーライスなるものに出会い
見慣れない食べ物であったカレーを食べる気になれず、
ライスのみを食べたとも言われています。

1872年には、料理書『西洋料理指南』や『西洋料理通』にて、
日本で初めてカレーの調理法が紹介されています。

「細かく切ったネギやしょうがなどをバターで炒め、
水を加えて鶏肉、えび、赤ガエル等を入れて煮込み、
さらにカレー粉を加えて煮込んだら、塩で味を調えて最後に水溶き片栗粉でとろみをつける」

赤ガエルだったのは、当時の日本はまだ宗教色が強く、4つ足の動物は食べないという風習があり、
豚や牛を用いる代わりに赤ガエルが使われたそうですよ。


次女の要望は毎回通るわけではありません。
スパイスたっぷりなため、あっさりと食べたい時もあります。
しかし、今回インドカレーを注文したことで
インドカレー欲が満たされたそうで2週間は黙ってくれるそうです。笑

 

私は、グリーンカレーの方が好き。
(*^▽^*)


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やっぱり性善説でしょ。

3月18日、今日の京都市左京区は晴れ。
下鴨の疏水の桜が少し咲いていました♪いいお天気です♪

この1ヶ月、娘の子育てのお手伝いに追われバタバタと忙しかったのですが、
そろそろ娘も慣れてきたようで、親子3代、なんとなくリズムが掴めてきたように感じます。

とはいえ、育児は大変。

なぜ人間の育児はこんなに大変なのでしょう???

馬やアザラシなどの高等な哺乳類に比べて、
「人間の赤ちゃんは、1年ほど早く産まれてくる」という説をご存知ですか?

馬や牛の赤ちゃんは生まれて1時間もすると歩行を始めます。

しかし、人間の赤ちゃんは、首も座らず、足も細く短く、人の助けがないと生きていけません。
歩き始めるのは1歳の頃。生まれてから1年ほど経ってはじめて歩けるようになるのです。

これは、人間が二足歩行になったことにより産道が狭くなったことに一因があります。

すべての機能が成熟するまで胎内にいると、大きく発達した脳のせいで産道を通れなくなるので、
頭が通れるギリギリのところかつ自分でおっぱいが飲めるぎりぎりの段階まで胎内で育てて、出産しているのです。


ある偉い先生が
「人間は二足歩行により神経系の高度な発達を実現するのみならず、
言語を得たことにより、複雑な社会システムや文化を発展させてきました。」
「こうした人間世界に適応する上で、母胎内での完成度よりも、
出生後の身体機能・精神機能の伸び代を優先したのが、生理的早産の意味でしょう。」
と、おっしゃっています。

人間の赤ちゃんは未熟なので、おっぱいを飲ませたり、声をかけたり、抱っこをしたりして育てなければいけません。

しかし、その結果として、親子が一緒にいる緊密な時間が生まれ、
言葉や社会性を伝達する期間ができました。

親をはじめとした多くの人々から優しく親切にされることにより、
自分が他人から愛されていることを実感し、自分を好きになり他人を信頼し、
そして他人を愛することの訓練を受けて一人前の社会人として成長していく力を修得していくのだそうです。

多くのことを依存しなければならないこの受け身の1年間で、
親をはじめ他人の言葉や行動を真似して育って生きていきます。

鶯の幼鳥が親鳥の鳴き方を真似るように、ライオンの子が親ライオンの吠え方を真似るように、
人間の子供たちも親の背中を見て育つのです。

この1年間が、将来の人格の土台を築くと言っても過言ではないのです。


生まれて間もない赤ちゃんを見ていると、
「人間の本性は基本的に善であるとする【性善説】」が当然だと思います。

親だけでなく、世の中の大人が世の中の子どもたちを、
責任を持って育てていかないといけないなぁ、とつくづく思います。


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