2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧
聖徳太子の創建と伝わる真言宗智山派のお寺です。 当初は香隆寺と称していましたが、 天徳4年に宇多法皇の勅願により 寛空僧正が再建し上品蓮台寺と改められました。 応仁の乱で伽藍は焼失し、 文禄年間に復興し十二の子院を建立したことから 「十二坊」と…
天下を統一した織田信長の偉勲を称え、 明治2年明治天皇が創建しました。 重要文化財の「 信長公記 」をはじめ、 信長ゆかりの文化財を多数所蔵しています。 信長の廟所と定められ、 毎年10月に行われる船岡祭は信長が初めて入洛した 10月19日に行われ…
紫式部は藤原為時を父として、973年頃に生まれました。 祖父、父共に歌人、詩人だった事から彼女も 幼少のときから学芸に親しみ、 寛弘3年一条天皇の中宮彰子に仕えたころに 『源氏物語』を執筆し始めて 寛弘6年頃に完成させたといわれています。 この…
玄武は北の守護神といわれ平安京の北に位置する玄武神社は、 王城の北野守護神として信仰されています。 4月の第2日曜日に行われる 「やすらい花」は平安時代に起源を持つといわれる祭礼です。 疫病を退散させるために、 風流の衣装をまとい鉦や太鼓をたた…
平安初期から上賀茂、 西賀茂一帯の疫病を祓う総鎮守的な社であった古社です。 徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬が厚く、 元禄7年には荒廃していた社殿の造営をおこなっています。 現在の社殿は明治29年に焼失した後、 同35年に再建したものです。 境内にあ…
大徳寺の塔頭、永禄9年に三好義嗣が 亡養父・三好長慶の菩提を弔うために、 大徳寺百七世笑嶺宗訴和尚を請じて建立したお寺です。 聚光院の名は長慶の法名に由来します。 その後、 千利休が檀家となってからは茶道三千家の菩提所となっています。 境内には…
一休禅師が開山した大徳寺の塔頭、 永享年間に創建されたが、応仁の乱で焼失、 延徳3年に堺の豪商、尾和宗臨により再興しました。 方丈内部の襖絵「山水図」「花鳥図」は室町時代、 桃山時代を代表する曽我蛇足の作品です。 庭園は石組みの配列から「七五三…
1601年細川忠興が父の菩提を弔うために創建。 利休屋敷より移築の書院につづく茶室松向軒は 秀吉が北野大茶会を催した折に移築しました。 寺宝の李唐筆「絹本墨画山水図」 2幅は南宋初期山水画の名作で国宝に指定されています。 京都市北区・左京区・上…
後醍醐天皇が祈願所とし、寺院として確立しました。 1582年、秀吉が信長の葬儀を営み、 塔頭を建立し寺院は隆盛しました。 千利休が山門二階部分を金毛閣と称し利休の像を 安置したことで秀吉の怒りをかい、 利休自決の原因となったのもこの頃です。 本…
1616年、 本阿弥光悦から寺地を寄進された日乾上人が学問所として開創。 鷹峯檀林として京都六檀林の中心をなしました。 名妓・吉野太夫が寄進した山門は「吉野の赤門」といわれ、 吉野太夫の墓もございます。 毎年4月の第三日曜日に島原の太夫による花…
貞和2年に大徳寺の徹翁義亨が隠居所として 建立した復古堂に始まります。 その後、衰退したが元禄7年加賀大乗寺の僧が 再興し曹洞宗となりました。 本堂廊下の血天井は伏見桃山城遺構。 慶長5年7月に、 家康の家臣鳥居元忠の軍勢が、 石田三成軍と交戦し…
1615年、 本阿弥光悦は徳川家康より鷹峯の土地を与えられ、 職人らと共に移り住み光悦を中心に芸術村を形成しました。 法華信者でもあった光悦の死後、寺に改められました。 境内には、茶道を極めた光悦らしく、 大虚庵を始め本阿弥庵、三巴亭、了寂庵、…
周囲1,540mの池には、珍しい植物が生息することで、 「深泥池水生植物群」として国の天然記念物に指定されています。 氷河時代の生きている化石として ミツガシワやホロムイソウが生息しています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム…
本尊は弘法大師像で師の自作ともいわれ、 東寺・仁和寺とともに「京都三弘法」とされるが 詳細は不明です。 境内に幕末の歌人大田垣蓮月が隠棲した茶所がございます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ:日々の出…
本堂は伏見城の遺構といわれ血天井がみられます。 各室の襖絵は狩野山楽筆の淡彩山水図で傑作です。 小堀遠州作とされる庭園もあり比叡山借景が大変綺麗です。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ:日々の出来事を毎…
太田神社は、上賀茂神社の末社の一つです。 アメノウズメノミコトとサルタヒコノミコトを 祀るとされています。 「神山やおほたの沢のかきつはた…」と 藤原俊成の歌に詠まれたカキツバタの群落は国の天然記念物です。 京都市北区・左京区・上京区の不動産の…
上賀茂社家町にある錦部家の旧宅で、 社家の中で唯一公開しています。 社家の庭は上賀茂神社から流れている 明神川から水を引き込んでいます。 ここ西村家の庭園では、 取り入れた水を「 曲水の宴 」のための小川の水として、 庭園をめぐり、また明神川へ戻…
宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したという 伝説が残されている所として知られています。 近くの八大神社には、 当時の松の古株が保存されています。 「下り松」は、 古くから旅人の目印として植え継がれて、 現在四代目の樹にあたるといいます。 京都市北区…
俳句の聖地といわれる寺院です。 寺院に縁のあった松尾芭蕉を忍び、 鉄舟が建てたとされる「芭蕉庵」が有名です。 芭蕉庵を後世に再興した 与謝蕪村ら近世の俳人の墓や句碑が多くございます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < ス…
都の鬼門にあたることから、 桓武天皇の勅願によって建立された古刹である。 本尊の不動明王がある本殿は山の斜面に そびえる懸崖造であり、 見晴らしが良いことで知られています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブロ…
江戸時代の文人・石川丈山が造営しました。 丈山の隠遁地であったが、 1966年に詩仙堂丈山寺となりました。 白砂を敷き詰めた庭園にはサツキや紅葉が美しく、 丈山の考案と伝える鹿おどしや織部灯籠が残されています。 京都市北区・左京区・上京区の不動…
1601年徳川家康が伏見に僧俗問わず入学を 許した学校を建てたのが始まりです。 のちに現在の詩仙堂近くに移されました。 孔子家語・貞観政要など多数の図書を出版し、 日本最古の木製の活字が約五万個も現存、 重要文化財となっています。 京都市北区・…
最澄が比叡山に道場として一坊を創建したのに始まります。 大書院、小書院、八窓軒茶室、庫裏は 重要文化財になっております。 黄不動で知られる不動明王像は平安時代のもので 三大不動の一つであり、国宝に指定されています。 枯山水庭園も名高く、 樹齢400…
一乗寺の産土神、素盞嗚命、稲田姫命、八王子命を祀っています。 厄除・開運・学業・えんむすびなどの授与品お守りを そなえています。 境内には慶長9年宮本武蔵が吉岡一門と決闘したおりに、 八大神社に立ち寄った縁から、 八大神社の境内地である一乗寺下…
比叡山の西麓にある延暦寺の別院です。 仁和4年に天台座主・安慧によって比叡山延暦寺の 別院として創建されたのが始まりです。 本尊は天台宗守護神守護神で陰陽道の赤山明神を祀っています。 本堂の屋根に王城守護猿が京都御所の 鬼門・猿ヶ辻に祀られた猿…
五山送り火「妙法」の法の字の真下に位置します。 本尊の大黒天像は京都の鬼門守護の神であり、 京都七福神巡りの一つとして有名です。 一般的には松ヶ崎大黒天と親しまれています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブ…