2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和38年から一般公開された管絃祭は、 平安時代以来の伝統を持っています。 午後5時半から橋殿で祭典が執り行われた後、 ススキの穂を飾り、かがり火がたかれた舞台で、 雅楽にあわせ古式ゆかしい舞楽や十二単の王朝舞などが 2時間にわたって奉納されま…
大覚寺の「観月の夕べ」は、 嵯峨天皇が大沢池に船を浮かべて遊んだことが始まりと 言われています。 満月法会では月を望む場所に設けられた祭壇に供物を供え、 農作物の豊作と人々の幸せを祈願します。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホ…
南神苑に「平安の苑」が開設された日を記念てし、 秋の訪れの近い神苑が無料で公開されます。 「平安の苑」は、 昭和56年に平安時代の庭園の特色である 野筋と遣水を中心に作庭されました。 平安時代の文学作品にも記載のある、 日本人が古来より愛でてき…
恵美須神社は、俗にえべっさんの通称で親しまれています。 日本三大ゑびすの一つです。 他には西宮神社 (兵庫県西宮市)、今宮戎神社 (大阪市)です。 ゑびす信仰で象徴的な笹は元来京都ゑびす社の御札が 形を変えたものです。 正月の十日えびす、 十月の…
建仁寺は、1202年栄西禅師が建立した京都最初の禅寺です。 俵屋宗達作の国宝「風神雷神図」を始めとして数々の建造物、 絵画、書簡が重要文化財となっています。 建仁寺では、座禅の体験も行っています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸…
大谷本廟は、1262年に没した親鸞の遺骨を火葬納骨した 場所とされています。 後に親鸞の娘覚信尼と門弟達により建てられた「大谷影堂」が、 今の本願寺の原型です。世間一般では、西大谷と呼ばれています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことな…
もともと青龍寺は乙訓郡にございました。 平安遷都の際に現在の場所に移動したといいます。 境内には鐘の代わりに叩いたという念仏石があり、 たたくと金属音が致します。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ:日々…
音羽の滝は、清水寺の奥の院の舞台崖下、 本堂東側の石段を下りたところに 三筋に分かれて流れ出ています。 古来「金色水」「延命水」と呼ばれていました。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ:日々の出来事を毎日…
平安京遷都の頃、坂上田村麻呂が創建したとされています。 「清水の舞台」で有名な国宝の本堂には本尊十一面観音像があり、 多数の建造物と共に重要文化財となっています。 「源氏物語」「平家物語」「今昔物語」などの長編から 「一寸法師」などの説話、な…
霊山観音の石鳥居から京都霊山護国神社あたりの 約300メートルを維新の道といいます。 坂本龍馬、中岡慎太郎をはじめ、 幕末の動乱で国に殉じた志士たち549人が 眠っている京都霊山護国神社にお参りする参道です。 京都市北区・左京区・上京区の不動産の…
幕末の動乱期、王政復古に殉じた志士たちを祀る神社です。 1868年に全国初の「官祭招魂社」として勅旨で創祀。 後に社名を改めました。 坂本龍馬・中岡慎太郎らを祀る 「龍馬祭」は毎年11月15日に催されます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産の…
災厄除去の神「祇園さん」として古くから 親しまれてきました。 明治期の神仏分離に伴い改称。 広い境内には本殿と拝殿を中心に多くの摂社があり、 また、日本各地に約3000もの分社がございます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホー…
豊臣秀吉の死後に高台寺を建立した 北政所ねねが実際に晩年を過ごした地です。 ねねの死後、菩提寺として開かれました。 枯山水の北庭、方丈の襖絵など見所も多く、 春と秋には夜間特別拝観が行われます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸…
豊臣秀吉の死後、北の政所ねねは高台院という号を 賜り当所に高台寺を建立し晩年を過ごしました。 高台寺蒔絵など多数の文化財を収蔵展示した美術館も併設、 春の夜間特別拝観では、 桜のライトアップが幻想的な世界を見せてくれます。 京都市北区・左京区・…
高台寺から下河原通にかけての京情緒満点の石畳の道です。 石畳の一部は昭和50年代に廃止された 京都市電の敷石を移設したそうです。 小路の両側は料亭や旅館が建ち並びます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ…
本堂の背後にそびえる山鉾を模した祇園閣は、 大倉財閥の総帥、大蔵喜八郎が伊藤忠太に設計を 依頼して建てたものです。その高さは約34m、 東山の山麓を一望することが出来ます。 また石川五右衛門のお墓もございます。 京都市北区・左京区・上京区の不動…