愛すべき馬鹿ども
寒波が来るのか、と、寒さと雪を覚悟していたけど、
寒さは腰のカイロでしのげるほど、
雪も時折雨が雪に変わる程度でした。
2週間ほど前に書きにくかった平成30年という数字も、今じゃすっかり当たり前。
もう、平成も30年目なのか。
もう、1月も22日目なのか。
改めて月日の経つ早さに驚かされる。
思い起こせば22年前、
1月に出産予定の臨月の私に、同級生の友人たちが、
「1月生まれはロクな奴がおらんし、その日に被らんように産まなあかんでー!( ̄∀ ̄)」
と言った。
「青伸は2日やし、◯◯は20日やし」
「△△は24日やし、□□は◯日や」
「あ、××も△日やわ」
次々と出て来る1月生まれの中学の同級生の名前。
出て来る名前は「愛すべき馬鹿ども」ばかり。
みんないいヤツばかりで私は大好きなんだけど、ほんと、ロクな奴がいない。笑
長女は運良く?その同級生たちの誕生日の間を縫って産まれてきてくれたんだけど、
その1月20日生まれの愛すべき馬鹿な友人の1人が、
先日、誕生日を前にして早々と死んじまった。
お通夜でもお葬式でも、仲間たちは泣き腫らし、馬鹿話に笑い、また泣いた。
思い出話に大笑いし、そして泣いた。
お山で火葬炉の扉が閉まるとき、愛すべき馬鹿が愛した、
学年が1つ下の学年一可愛いかった彼女が、扉にすがり
「待っててなぁー」と泣き崩れた。
死は誰にでも訪れるもの。
しかし、あまりにもあっけない「死」は、私に「生きる」という意味を考えさせた。
「死」を前提に考えてしまうと「生きる」という意味がなかなか見出せない。
アインシュタインは言っている。
「誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。」と。
ゲーテは言っている。
「自分自身を信じてみるだけでいい。
きっと、生きる道が見えてくる。」と。
坂本龍馬は言っている。
「夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。」と。
北野武が言っていた。
「何かひとつくらい誇れるものを持っている
何でもいいそれを見つけなさい
勉強が駄目だったら運動がある
両方駄目だったら君には優しさがある
夢をもて目的をもて、
やれば出来る
こんな言葉に騙されるな
何もなくていいんだ
人は生まれて生きて死ぬ
これだけでたいしたもんだ」と。
難しく考えたらダメなのかもしれない。
松本人志が言っていた。
「人間に許された唯一の特権は笑うことや。
笑いながら生きると言う事が人間としての証や。
人は笑うために生きるんやで。」と。
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