よし、京都に行こう!

京都の風景、お寺や神社、四季折々の情報を発信します!新しい京都の発見があるかも!

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

京都市下京区|本覚寺(ほんかくじ)

名 称:本覚寺(ほんかくじ) 本覚寺は、京都市下京区にある寺院です。 山号を佛性山(ぶっしょうざん)という浄土宗の寺、 開祖は團譽上人玉翁和尚。 寺伝によると初め西八条の遍照心院に源実朝の 後室坊門信子が貞応元年に創建したもので信子の 法名本覚を…

京都市下京区|長講堂(ちょうこうどう)

名 称:長講堂(ちょうこうどう) 長講堂は、京都市下京区の寺院です。 後白河法皇ゆかりとされる本尊の木造阿弥陀三尊像は 重要文化財です。 正式名を「法華長講弥陀三昧堂」。 寿永2年、後白河法皇が六條西洞院の平業忠の邸に 移られたので、この堂もそこ…

京都市下京区|上徳寺(じょうとくじ)

名 称:上徳寺(世継地蔵)(じょうとくじ) 上徳寺は、京都市下京区の寺院です。 境内にある地蔵菩薩立像は、子授け・安産の像として 古くから信仰されており 「京のよつぎさん」「世継地蔵尊」の名で親しまれています。 京都市北区・左京区・上京区の不動…

京都市下京区|市比賣神社(いちひめじんじゃ)

名 称:市比賣神社(いちひめじんじゃ) 市比賣神社は、京都市下京区にある寺院です。 都会の真ん中にある小さな神社。 795年、桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が東西の市の 守護としたのが起こりで、これが後年1591年に 現在の河原町五条に遷座したという。 …

京都市中京区|土佐藩邸跡(とさはんていあと)

名 称:土佐藩邸跡(とさはんていあと) 江戸初期から明治4年まで土佐藩主山内家の藩邸があった場所。 幕末には志士たちの活躍の拠点であった。 土佐藩主山内容堂は、坂本龍馬・中岡慎太郎等の尽力で 薩長同盟が成立し後に、後藤象二郎の進言を入れて 大政奉…

京都市中京区|酢屋・坂本龍馬寓居跡(すやさかもとりょうまぐうきょあと)

名 称: 酢屋・坂本龍馬寓居跡(すやさかもとりょうまぐうきょあと) 坂本龍馬は、江戸に出て軍艦奉行勝海舟の門に入った。 慶応2年薩長同盟締結するなど活躍したが、 京都滞在中は,材木商酢屋に投宿し, ここを海援隊屯所としました。 現在この酢屋の前の…

京都市中京区|長州屋敷跡・桂小五郎像(ちょうしゅうやしきあと)

名 称:長州屋敷跡(ちょうしゅうやしきあと) 長州藩・毛利氏の藩邸跡で幕末維新時の重要な 政治的拠点であった。 元治元年の蛤御門の変では、会津・薩摩の幕府朝廷軍に 敗れた時にはこの邸内に自ら火を放ち逃れたが、 火は市内に延焼して数日間にわたって…

京都市中京区|佐久間象山遭難碑(さくましょうざんそうなんち)

名 称:佐久間象山遭難碑(さくましょうざんそうなんち) 佐久間象山は、信濃国松代藩出身で兵学蘭学を学び、 江戸で勝海舟・吉田松陰らに砲学を教えた。 開国論を唱え、嘉永7年吉田松陰の米艦乗込事件に連座し、 その後8年間松代で蟄居した。 元治元年3月幕…

京都市中京区|桂小五郎・幾松寓居跡(かつらこごろういくまつぐうきょあと)

名 称:幾松寓居跡(いくまつぐうきょあと) 木戸孝允は、桂小五郎といった長州藩士時代, 花街三本木の芸妓幾松と恋仲となり、 時に新選組に追われながら苦難の時代を過ごした。 両人は鴨川西岸に住み、 蛤御門の変のあとには新撰組に追われて、 幾松の機転…

京都市中京区|大村益次郎遭難碑(おおむたますじろうそうなんひ)

名 称:大村益次郎遭難碑(おおむたますじろうそうなんひ) 周防国出身の大村益次郎は、緒方洪庵等に医・蘭学を学んだ後、 江戸に出て幕府の講武所教授等を歴任しました。 のち長州藩に仕え軍制改革を指導し、 第2次長州征伐・戊辰戦争において卓越した指揮…

京都市中京区|近江屋跡

名 称:近江屋跡 龍馬は京都で海援隊本部のあった酢屋を定宿にしていたが、 幕府から追われていたため、 土佐藩の出入り商人であった醤油屋近江屋に移っていた。 慶応3年11月15日ここの二階で中岡慎太郎と大政奉還後の 政局について論じていたという二人は、…

京都市中京区|池田屋騒動の碑(いけだやそうどうのひ)

名 称:池田屋騒動の碑(いけだやそうどうのひ) 薩摩藩と会津藩が手を組み京都での倒幕勢力の中心で あった長州藩の勢力を一掃した「八月十八日の政変」後、 京都では公武合体派が勢力を伸ばし尊皇攘夷派が圧迫された。 長州・土佐・肥後などの志士たちは勢…

京都市下京区|五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)

名 称:五條天神社(ごじょうてんじんじゃ) 五條天神社は、京都市下京区の寺院です。 天神、との名称だが道真公とは関連が無く、平安遷都の折、 桓武天皇が空海に創建させた神社と伝わる。 大己貴命、少彦名命、天照大神などを祀る。 古来より病気退散、医…

京都市下京区|空也寺(くうやじ)

名 称:空也寺(くうやじ) 空也寺は、京都市下京区の寺院です。 天禄3年空也上人が錦小路西洞院に開基。 天正年間に現在地に移転した。 本尊は阿弥陀三尊、本堂には空也上人像が安置されています。 平成12年2月の本堂落慶を記念して、 空也上人が洛中を「念…

京都市下京区|佛光寺(ぶっこうじ)

名 称:佛光寺(ぶっこうじ) 佛光寺は、京都府京都市下京区にある真宗佛光寺派の本山です。 寺伝によると、親鸞は越後流罪から赦免された翌年建暦2年に 京都に帰り、山科の地に草庵を創建、 この草庵が佛光寺の始まりとされています。 当初は、「興隆正法…

京都市下京区|菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

名 称:菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ) 菅大臣神社は、京都市下京区の寺院です。 菅原道真誕生の地、邸宅跡と伝えられる。 境内には本殿、幣殿ほか多くの社殿が建ち、 道真公が産湯を使ったという井戸もございます。 「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 …

京都市下京区|平等寺(びょうどうじ)

名 称:平等寺(びょうどうじ) 平等寺は、京都市下京区にある寺院です。 六角堂などと同じく、町堂として篤い信仰を集めてきました。 歴代の天皇も厄年には勅使を派遣し、祈祷をうけたという。 本尊薬師如来像は兵火を免れ現存。重要文化財。 嵯峨釈迦堂の…

京都市下京区|杉本家住宅

名 称:杉本家住宅 京都市指定文化財の京町屋「杉本家」。 1743年から呉服商を営む「奈良屋」の店舗兼住宅で、 京格子や出格子・犬矢来・土塗りの虫籠窓など表屋造りによる 大規模な京町家の特徴を今に伝えています。 現在の建物は明治3年に再建された…

京都市中京区|弁慶石(べんけいいし)

名 称:弁慶石(べんけいいし) 京都市内にはいくつか弁慶にちなむ弁慶石があるそうですが、 最もよく知られたものがこの中京区三条通にある弁慶石です。 弁慶がとても気に入っていた石といわれ、 弁慶の住まいの跡にあった石とも言われています。 弁慶の死…

京都市中京区|頂法寺(ちょうほうじ)

名 称:頂法寺(ちょうほうじ) 頂法寺は、京都市中京区にある天台宗系単立の仏教寺院です。 山号は紫雲山。本尊は如意輪観音(秘仏)。 西国三十三所第十八番札所。 正式の寺号は頂法寺(山号を冠して紫雲山頂法寺)であるが、 本堂が平面六角形であること…

京都市中京区|先斗町(ぽんとちょう)

名 称:先斗町(ぽんとちょう) 先斗町は京都市中京区に位置し、 鴨川と木屋町通の間にある花街です。 「町」と付くが地名としての先斗町はございません。 先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、 公文書にも使用されています。 文化十年に公認さ…

京都市中京区|三条大橋(さんじょうおおはし)

名 称:三条大橋(さんじょうおおはし) 三条大橋は、京都市にある三条通の橋です。 橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年、 豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を 奉行として石柱の橋に改修されました。 江戸時代においては、 五街道のひ…

京都市中京区|錦小路・錦市場(にしきいちば)

名 称:錦小路・錦市場(にしきいちば) 錦市場は、京都市中京区のほぼ中央に位置する 錦小路通のうち、「寺町通 - 高倉通」間に存在する 商店街です。 魚・京野菜などの生鮮食材や、乾物・漬物などの 加工食品を商う老舗・専門店が集まる市場です。 中小企…

京都市中京区|錦天満宮(にしきてんまんぐう)

名 称:錦天満宮(にしきてんまんぐう) 錦天満宮は、京都市中京区にある寺院です。 【 歴史 】 長保5年、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を 源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が 創建され、その鎮守社として天満天神を祀って…

京都市中京区|岬神社(みさきじんじゃ)

名 称:岬神社(みさきじんじゃ) 岬神社は、京都市中京区にある寺院です。 室町時代初期に鴨川の中洲の岬に祠を建てたのがはじまりという。 その後、 江戸時代には土佐藩邸があったこの地に移された祭神に倉稲魂命を 祀るため土佐稲荷と呼ばれ土佐藩士だけ…



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