よし、京都に行こう!

京都の風景、お寺や神社、四季折々の情報を発信します!新しい京都の発見があるかも!

アオサギ


12月9日、今日の京都市左京区は晴れ時々曇り。

今日も寒い1日でした。

 

北大路橋を車で通行中、
すぐ目の前を1羽のアオサギが横切って鴨川に降りて行きました。

 

昔はサギといえばシロサギしか見なかったのに、いつ頃からか、
鴨川や宝ヶ池でアオサギを見かけるのが当たり前になっています。

 

春に御所の池に行った時も、
5羽のアオサギが縄張り争いをしていて、なかなか見応えがありました。

翼を広げて飛ぶ姿はとても優雅なのに、争い鳴く声はガーギャーと、
あまりきれいではありませんでした。

 

夏の夜、長女と出町柳駅から歩いて帰途についていたとき、

下鴨神社の南、旧三井家下鴨別邸の東側の道で、何かの視線を感じて見上げると、

生い茂る大きな木々にボワっと何かが見え、
目を凝らすと、寝ぐらなのか、其処此処にアオサギがとまっていました。

 

増えてきているのかな?

 

初めてアオサギを見たのは宝ヶ池のボート乗り場。

貸しボートの営業が、お休みだった時。

 

水面を見つめて、じーっとじーっと、

ずーっとじーっとしている少し大きな鳥に、

 

なにこの鳥?コウノトリ
なんて思いながら私もじーっとじーっと、
ずーっとじーっと見ていました。

 

どれくらいの時間が経っただろう?

短かったのか長かったのか。

 

おもむろにクチバシを水中に突き出し、

気がついた時には、大きめの魚を咥えていました。

 

白いからシロサギ。

灰色なのにアオサギ

 

まぁ、青みがかって見えなくもない。

 


そういえば、
鴨川には、昔はもっとユリカモメがいたような気がする。

鴨川の冬の風物詩だったのに。

 

私の行動範囲内で、私が勝手に思っているだけだけど、

昔と比べて、絶対減っている。

 


自然界で、なにが起こっているんだろう?

 

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兵隊さんと正露丸

※更新遅くなって申し訳ございません。12月8日分のブログ内容です。

12月8日、今日の京都市左京区は曇り時々雨。

各地で雪が降っているのに、こちらで降るのは雨か、なんて思っていたら、
比叡山が白くなっていて驚きました。

降っていたんですね、雪。

 

室内は、たまに換気をしたくなるほどにポカポカ。

 

なのに、来る人来る人、寒い寒いと連呼。

 

いやいや、ロシアの方が寒かろう。

 

頭の回路というのは不思議なもので、

 

寒い→ロシア→正露丸

 

という扉が開いたので、正露丸の話を少しばかり・・・。

 

子供の頃、お腹が痛くなるたびに、「ダラスケ飲んどき」と、
黒い小さめの粒が10粒も入れられた薬瓶の蓋をおばあちゃんに渡されていました。

その薬はとても苦く、小さめの粒とはいえ10粒も飲まなければいけなかったのがイヤでした。

ずーっとダラスケだと思っていた正式名称は
「陀羅尼助(だらにすけ)」だったのですが、

おばあちゃんが「陀羅尼助派」だったようで、
結局私はこの歳まで「正露丸」というシロモノを飲んだことがありません。

 

苦いそうですね。(>人<;)

 

そんな「正露丸」、もともとは「征露丸」と書いていたのは御存知ですか?

 

読んで字の如く、

「日本から遠く離れた大陸でも体調を壊さず、ロシアを征服できる薬」
ということで、

日露戦争時に日本軍で製造され、陸海軍に配布された缶入りの薬だったのです。

 

外地での戦争では、衛生管理が悪く、

戦闘よりも病気で死亡する人の数が多かったので、
軍人全員に征露丸の服用を命じた、という記録も残っているそうです。

 

そして、正露丸といえば、ラッパ。

 

テレビのコマーシャル、

「ラッパのマークの正露丸♪」というフレーズと、

パッパラパッパ パッパラパッパ パーパラッパ パッパッパー

というメロディが、頭にこびりついているのですが、

 

あのラッパは、
軍隊の「信号ラッパ」の「食事ラッパ」そのままのメロディなのだそうで、

 

「ラッパのマーク」になったのは、

日露戦争で戦死した兵隊(木口小平)が、
敵の銃弾を何発受けても、
死ぬまで進軍ラッパを吹き続けたというエピソードがあり、

それが受け継がれているという言い伝えがあります。

 

そんな「征露丸」は、


第二次世界大戦後、敗戦国となった日本において、
連合国側の当時のソビエトに対して、
ロシアを征するという意味の「征露丸」は好ましくないとのことから
「正」の字に直されたのだそうです。

 

実際の効果がどうであれ、

一粒でニワトリ一羽と交換したとか、

お守りのためフンドシの中に入れておいた、

などという話も聞かれるほどで、


当時の兵隊さんには、さぞかし心強いお薬だったんでしょうね。

 

今は、
寄生虫アニサキス症に対する効果も解明され
3年前に特許を取得したばかりだそうで、
こちらも心強い限りです。

 

ちょっと長くなりましたが、

正露丸への扉が開いてしまったので、

今日は正露丸のお話を少しばかり・・・でした。

 


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冬の夜に考えてしまうこと。


12月6日、今日の京都市左京区は晴れ。

 

テレビから漏れ聞こえていた「雪」やら「冷え込む」といった言葉とは裏腹に、

昼過ぎの空は青く、眩しかった。

 

ちょっと車の中で待ちぼうけ。

 

ぽかぽかとした日差しに照らされた神社の朱色。

 

7割ほど葉の散った大きな銀杏の木が、

残った葉をきらきらと黄金色に輝かせながら揺れている。

 

ゆったりとしたズボンにコートの老夫婦が、手を繋いで歩いている。

史跡案内の看板の前で足を止めるも、固く握り合った手はそのまま。

 

綺麗な銀杏の葉を見つけては拾い歩いてるお嬢さん。

 

アスファルトと同じ色の服を着た青年が、
少し前かがみな自転車に乗って車の横を通り過ぎていった。

 

こんな辺鄙なピンポイントの地点に留まって、車の窓から外を見ているだけで、

世の中に生きている色々な人に出会う。

 

その生き様も性格も様々で、

話すこともなく、目を合わすわけでもなく、
ただ通り過ぎるだけ、すれ違うだけの関係。

 

ときたま、人ってなんだろう。

生きるってなんだろう。と、こむづかしい考えが頭をよぎる。

 

子供の頃、外遊びからの帰り道、

見知らぬ家々から漂う夕飯のにおいと、オレンジ色の暖かい光、
ときたま聞こえる家族の会話に、家路を急いだ。

 

そして、ここにもひとつの家庭があるんだなぁ、なんて考えていた。

 

車に乗るようになったら、夜景を見に行く機会が増えた。

その時も、ひとつひとつの灯りというシールドの中に、

家庭があったり、会社があったり、

この世の中で生きる人々のエネルギーや生活を感じた。

 

同じ時代に生まれながら、殆どの人とは一生会うことがない。
すれ違っただけでもすごい確率なのかもしれない。

 

出逢えた友人、そして家族・・・

 

大切なものを守りたいと思う私のシールドが、
今宵も、夜景の中のちっぽけなひとつの灯りとして輝いている。

 

冬の夜には、こんなこむづかしい考えが頭をよぎる。

 


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