ギョロッとした目
4月18日、今日の京都市左京区は晴れ。
気持ちのいいお天気です。
少し街から離れると、鯉のぼりを揚げているお家を見かけるようになります。
このように鯉のぼりを見かけて初めて、
街中に建つ家では見かけなくなった鯉のぼりのことを考えるわけなのですが、
思い出すのは幼稚園の広めのお部屋。
少しだけ砂っぽい床に広げて伸ばして置かれた大きな黒と赤の鯉のぼり。
何メートルもある布に描かれた黒い真鯉のウロコは大きく、
ギョロッとした目は生きているようにも死んでいるようにも見えました。
皆で揚げに行ったというか、先生のお手伝いをしているような感じで揚げられた鯉のぼり。
歓声の中揚げられたものの、
風が吹かず、布に描かれた2匹の鯉はおとなしくぶら下がっているだけでした。
「布の上の鯉」は静かに佇んでいましたが、
「まな板の上の鯉」はその諺の意味(覚悟を決めて、見苦しく騒いだりしないことのたとえ)とは裏腹に、
実際には、バッタバタバッチンバチと暴れるのですが、
それが職人さんのひと撫ででおとなしくなるのだそうです。
鯉の横腹にある側線とよばれる器官を包丁の裏で撫でるとその動きは止まるそうです。
この側線という器官は、水の流れや水圧を感じることに使われるため、
非常に敏感なので、刺激を受けると失神してしまうのだそうです。
「まな板の上の鯉」という諺は、
実は側線を刺激された鯉が失神している様子から生まれたものなんですね。
鯉以外の魚にもこの側線はあるのに、なぜ鯉になったのかというと、
なんでも、鯉は古くから日本で親しまれてきているので、
日本では魚=鯉というイメージがあったからだそうです。
(´⊙ω⊙`)
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