2015-01-01から1年間の記事一覧
1601年細川忠興が父の菩提を弔うために創建。 利休屋敷より移築の書院につづく茶室松向軒は 秀吉が北野大茶会を催した折に移築しました。 寺宝の李唐筆「絹本墨画山水図」 2幅は南宋初期山水画の名作で国宝に指定されています。 京都市北区・左京区・上…
後醍醐天皇が祈願所とし、寺院として確立しました。 1582年、秀吉が信長の葬儀を営み、 塔頭を建立し寺院は隆盛しました。 千利休が山門二階部分を金毛閣と称し利休の像を 安置したことで秀吉の怒りをかい、 利休自決の原因となったのもこの頃です。 本…
1616年、 本阿弥光悦から寺地を寄進された日乾上人が学問所として開創。 鷹峯檀林として京都六檀林の中心をなしました。 名妓・吉野太夫が寄進した山門は「吉野の赤門」といわれ、 吉野太夫の墓もございます。 毎年4月の第三日曜日に島原の太夫による花…
貞和2年に大徳寺の徹翁義亨が隠居所として 建立した復古堂に始まります。 その後、衰退したが元禄7年加賀大乗寺の僧が 再興し曹洞宗となりました。 本堂廊下の血天井は伏見桃山城遺構。 慶長5年7月に、 家康の家臣鳥居元忠の軍勢が、 石田三成軍と交戦し…
1615年、 本阿弥光悦は徳川家康より鷹峯の土地を与えられ、 職人らと共に移り住み光悦を中心に芸術村を形成しました。 法華信者でもあった光悦の死後、寺に改められました。 境内には、茶道を極めた光悦らしく、 大虚庵を始め本阿弥庵、三巴亭、了寂庵、…
周囲1,540mの池には、珍しい植物が生息することで、 「深泥池水生植物群」として国の天然記念物に指定されています。 氷河時代の生きている化石として ミツガシワやホロムイソウが生息しています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム…
本尊は弘法大師像で師の自作ともいわれ、 東寺・仁和寺とともに「京都三弘法」とされるが 詳細は不明です。 境内に幕末の歌人大田垣蓮月が隠棲した茶所がございます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ:日々の出…
本堂は伏見城の遺構といわれ血天井がみられます。 各室の襖絵は狩野山楽筆の淡彩山水図で傑作です。 小堀遠州作とされる庭園もあり比叡山借景が大変綺麗です。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブログ:日々の出来事を毎…
太田神社は、上賀茂神社の末社の一つです。 アメノウズメノミコトとサルタヒコノミコトを 祀るとされています。 「神山やおほたの沢のかきつはた…」と 藤原俊成の歌に詠まれたカキツバタの群落は国の天然記念物です。 京都市北区・左京区・上京区の不動産の…
上賀茂社家町にある錦部家の旧宅で、 社家の中で唯一公開しています。 社家の庭は上賀茂神社から流れている 明神川から水を引き込んでいます。 ここ西村家の庭園では、 取り入れた水を「 曲水の宴 」のための小川の水として、 庭園をめぐり、また明神川へ戻…
宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したという 伝説が残されている所として知られています。 近くの八大神社には、 当時の松の古株が保存されています。 「下り松」は、 古くから旅人の目印として植え継がれて、 現在四代目の樹にあたるといいます。 京都市北区…
俳句の聖地といわれる寺院です。 寺院に縁のあった松尾芭蕉を忍び、 鉄舟が建てたとされる「芭蕉庵」が有名です。 芭蕉庵を後世に再興した 与謝蕪村ら近世の俳人の墓や句碑が多くございます。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < ス…
都の鬼門にあたることから、 桓武天皇の勅願によって建立された古刹である。 本尊の不動明王がある本殿は山の斜面に そびえる懸崖造であり、 見晴らしが良いことで知られています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブロ…
江戸時代の文人・石川丈山が造営しました。 丈山の隠遁地であったが、 1966年に詩仙堂丈山寺となりました。 白砂を敷き詰めた庭園にはサツキや紅葉が美しく、 丈山の考案と伝える鹿おどしや織部灯籠が残されています。 京都市北区・左京区・上京区の不動…
1601年徳川家康が伏見に僧俗問わず入学を 許した学校を建てたのが始まりです。 のちに現在の詩仙堂近くに移されました。 孔子家語・貞観政要など多数の図書を出版し、 日本最古の木製の活字が約五万個も現存、 重要文化財となっています。 京都市北区・…
最澄が比叡山に道場として一坊を創建したのに始まります。 大書院、小書院、八窓軒茶室、庫裏は 重要文化財になっております。 黄不動で知られる不動明王像は平安時代のもので 三大不動の一つであり、国宝に指定されています。 枯山水庭園も名高く、 樹齢400…
一乗寺の産土神、素盞嗚命、稲田姫命、八王子命を祀っています。 厄除・開運・学業・えんむすびなどの授与品お守りを そなえています。 境内には慶長9年宮本武蔵が吉岡一門と決闘したおりに、 八大神社に立ち寄った縁から、 八大神社の境内地である一乗寺下…
比叡山の西麓にある延暦寺の別院です。 仁和4年に天台座主・安慧によって比叡山延暦寺の 別院として創建されたのが始まりです。 本尊は天台宗守護神守護神で陰陽道の赤山明神を祀っています。 本堂の屋根に王城守護猿が京都御所の 鬼門・猿ヶ辻に祀られた猿…
五山送り火「妙法」の法の字の真下に位置します。 本尊の大黒天像は京都の鬼門守護の神であり、 京都七福神巡りの一つとして有名です。 一般的には松ヶ崎大黒天と親しまれています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < スタッフブ…
推古天皇の時代に遣隨使小野妹子が筑紫の 宇佐八幡に病平癒を祈願したところ直ちに癒されたので、 帰朝後この地に勧請したのが始まりといわれています。 祭神は応神天皇です。 社殿は応仁の乱で焼失したが明治期に本殿、 神社の東方には小野毛人の墓がござい…
以前は下京区にあり時宗の寺でしたが、 応仁の兵火で荒廃。 1662年、加賀藩の家老今枝近義により再興しました。 庭園は池泉廻遊式で石川丈山作とも、 小堀遠州作とも伝えられています。 庭園や本堂、鐘楼堂は当時のままの姿で残っています。 京都市北区…
妙満寺の創建は康応元年、 日蓮上人に帰依した日什上人によります。 その後、応仁の乱など幾度かの兵火に遭い、 そのつど洛中に寺域を移してきましたが、 天文5年、 比叡山の僧徒による焼き討ちで二十一坊の大伽藍を類焼。 天正11年秀吉の時代に寺町二条…
比叡山を望む借景庭園が有名です。 後水尾天皇の山荘であった幡枝の御所跡が、 のちに寺と改められました。 後水尾院の趣向である枯山水の庭がいまも伝えられ、 国の名勝と指定されています。 京都市北区・左京区・上京区の不動産のことなら青伸ホーム < ス…
1229年、静基僧正が開創しました。 門跡寺院であり、実相院門跡、岩倉門跡とも呼ばれています。 本尊不動明王像・歴代天皇の尊碑などが安置されています。 後陽成天皇の直筆文書は重要文化財であり、 他にも古文書を収蔵されています。 京都市北区・左京…
959年の創建です。 小野小町終焉の地と伝えられ、小町寺と呼ばれています。 小さな本堂に 平安時代作の阿弥陀三尊像と並び小町老衰像を安置されています。 境内には小町燈篭、小町供養塔、 なきがらから生えたというススキ、 姿見の井戸など小町ゆかりの遺跡…
由岐大明神は御所にお祀りされておりましたが、 天慶元年に都の大地震、 天慶2年には平将門の乱と相次ぐ世情不安に、 朱雀天皇の詔により天慶3年に鞍馬の地に遷されました。 その時、 松明を造り道々には篝火を焚き神道具を先頭に勧請されました。 鞍馬の…
770年、 鑑真の高弟鑑禎が毘沙門天を本尊として 草堂を建立したのが始めとされています。 本殿金堂、多宝塔などは近年再建、鉄筋造りです。 源義経が修行した地として有名であり、 水飲み場などの遺跡もみられます。 「枕草子」にも「近うて遠きもの」と…
大原の北、古地谷の奥にある阿弥陀寺は、 慶長14年弾誓が創建しました。 念仏修行をする木喰僧であった弾誓の遺骸は 即身仏として境内の窟に安置されています。 本尊の阿弥陀如来坐像は重要文化財となっています。 本堂の弾誓上人像は岩穴に住み霊木から像…
平安貴族や武士たちにやすらぎの郷として 愛されてきた八瀬の地に建つ無量寿山・光明寺の京都本坊です。 大正末に12,000坪の敷地に建つ数奇屋造りの建物は、 京数寄屋造りの名人と称された中村外二の建築、 築庭は、佐野藤右衛門の作と伝えられています。 2…
御所谷山麓の八瀬天満宮社境内にある神社です。 元禄年間に比叡山と八瀬村との境界争いにおいて 八瀬村の利権を認めた老中・秋元喬知を 秋元大明神として祀った神社です。 毎年十月に行われる「赦免地踊」は 江戸時代中期より約300年もの間 伝承されてき…