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斬新なヘアスタイル

7月17日、今日の京都市左京区は晴れ。

いつのまにか7月も半ばを過ぎ、ふと見た「法」の山は、
来たる8月16日の五山送り火の準備のためか、
法の字の周りの木々や雑草が多めに刈られ山肌が見え、
どこかザンギリ頭を思い出す少し不細工な見た目になっていました。

ザンギリ頭を漢字で書くと「散切り頭」

「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」というフレーズはとても有名だけど、
実はコレは、『半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。
総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。
散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする』という流行り歌で、
その意味は「ちょんまげ頭の人は、古いものにしがみついて変わりません。
長い髪を後ろに撫で付けひき結んだ総髪頭は、それよりかは少しはいいけれど、まだ王政復古の頃で止まっている。
それに対して、散切り頭の人こそ文明開化の波に乗り、進んでいる人だ」と賞賛した歌の一部分だったのです。

しかし私の中では、ザンギリ頭よりも、そもそも何でちょんまげ頭にしたの???
って方が子供の頃からの疑問でした。

ちょんまげを漢字で書くと「丁髷」
しかし「ちょんまげ」とは元々は髷を結う髪がなくなってきた老人が結う、ちょんと乗る程度の髷のことで、
その姿形から「ゝ髷」と書かれていたそうです。ものすごくシックリくる漢字ですね。笑

で、「なぜちょんまげか?」は、ズバリ、ムレ防止のため、だそうです。

飛鳥時代に「冠」をする文化が中国からもたらされ、
貴族の間で冠や烏帽子をかぶる文化が広まり、
烏帽子の中に髪をぎゅっと纏めて入れ上に立てていました。

しかし頭が蒸れ蒸れになってしまうので、
蒸れを防止するために烏帽子の下で縛るポニーテールのような髪型が流行り、
それがちょんまげのルーツになるそうです。

戦国時代になると、武士たちは、
戦の際に前頭部から頭頂部にかけて髪を剃りあげてから兜を被り、ムレを防止しました。

しかし江戸時代になるとほとんど戦争もなく、侍たちは髪をぼうぼうに伸ばしていました。
その髪型は江戸っ子達から汚らしいと次第に嫌われ、
日常から髪を剃り、ちょんまげを結うようになりました。
すると町人達にもちょんまげスタイルが広がったそうです。

しかしお洒落な江戸っ子。町人達は、侍のちょんまげなんてしゃらくせ〜!と、
職人は男らしく太く短い髷を、商人は小綺麗な髷を、などと、この髷スタイルを自分達流にアレンジ。
散髪屋が社交場になるほど大繁盛したと言います。

江戸時代にちょんまげを結っていた日本人に対して、
はじめて髪型の自由が認められたのは1871(明治4)年8月9日のこと。

さっさと切ってしまう一部の若者を除いて、髷を切ることに抵抗のあった人々も多かったそうですが、
1873(明治6)年3月1日に、明治天皇が散髪したことがきっかけで、国民の98パーセントがちょんまげを落としました。

で、どんな髪型になったかというと、
ザンギリが揃っていない「散髪」という髪型、
真ん中から分けたオランダ人のヘアスタイルをまねた「中割」、
現在のオール・バックにあたる「うしろ撫付」、
七三に分けた「開化頭」などだそうで、
この七三分けが斬新なヘアスタイルだ!と若者達に大流行したそうです。

いつの時代も若者達は流行に敏感ですね♪


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