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最近の若者たち

6月30日、今日の京都市左京区は雨時々曇り。
明日から7月。7月といえばすっかり夏のイメージですが、
天候の面から見ると7月のほとんどはジメジメとした「梅雨」の時期なんですよねー。

今はアプリですぐに明日の天気を知ることができますが、
昔はよく「177」に電話をかけて天気予報を聞いていました。

あの頃、時報を告げる「117」と、どっちだっけ?と、しばしば思いましたが、
実は天気予報の「177」は「いい天気になれなれ」のゴロあわせで、
時報の「117」は「ピッ・ピッ・と鳴る」のゴロあわせなのだとか。もう間違えません。

うちの娘たちもそうなのですが、最近の若者たちは、
電話で時報が聞けることも天気予報が聞けることも知らない子が多いようです。

「117とか177に電話したら何が聞けると思う?」と聞くと
「うーーん。いいな、やし、その日の耳寄りな情報??」とのこと。

こんな子たちが増えたから、
利用者は、2006年度7,400万件から2015年度1,400万件と5分の1に減りました。
ピーク時には年間4億件を越えていたのだというから、それはそれで驚きです。

そんな電話番号の「177」ですが、
実は、もともとは、
内閣総理大臣早稲田大学創設者の大隈重信の自宅の電話番号だったのだそうですよ。

明治23年(1890年)に日本に電話が開通し、横浜と東京間で電話サービスが開始された時、
電話番号は申請者順に振り分けられました。

当初は、電話設置も通話料も高額で、
その時の加入者は東京で155名、横浜で42名と合わせて197の団体企業、個人しかいなかったので、
市外局番や市内局番もなく3ケタの電話番号で事足りたのです。

個人で申し込む余裕があったのは、大臣クラスの重鎮か大会社の社長ぐらい。

大隈重信が申し込んだのがたまたま177番目だっただけで、天気予報とは関係がないんですけどね。

ちなみに、明治の実業家「渋沢栄一」は58番、三菱財閥の創業者「岩崎弥太郎 」は 160番、
大政奉還を実現させた「後藤象二郎」は247番、
日本の近代郵便制度の創設者「前島密」は248番だったそうですよ。

となると、気になるのは、1番。
テレフォンナンバー「1」です。

調べてみたら、なるほど。

当時の「東京府庁」でしたー。

 


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