名 称:宝筐院(ほうきょういん)
【 歴史 】
当初の寺名は善入寺と称した。
黙庵に帰依した足利幕府二代将軍・足利義詮によって
観林寺と寺名を改められるが、ほどなく善入寺に戻された。
足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北した後は、
黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られた。
その正行の敵である足利義詮は、正行の埋葬を知ると、
「自分の逝去後、かねており敬慕していた観林寺の
楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」と遺言を
残したと言われ、1367年彼の死後ほどなく、
正行の墓の隣の墓に葬られました。
その後、
8代将軍・足利義政の代に、
その寺名は義詮の院号である宝筐院に改められたという。
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