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鴨川の氾濫の歴史|京都

6月24日、今日の京都市左京区は、曇りのち雨。
やっぱり、よく降りますよねー、この時期の雨は。
今日の鴨川は、少し荒れ気味です。

いつもは穏やかに流れて、人々を癒してくれている鴨川。
そんな鴨川が、平安時代の昔から、暴れ川として知られていたという事実をご存知でしょうか?
今も鴨川の何箇所かで、工事が行われています。
鴨川が遊び場だったころ、河川工事を見るたびに、せっかくの魚の住処が壊されていくようで、イヤでした。
工事のたびに、なんとも浅い川になってしまい、なぜか中州が無くなります。
コンクリートでできた四角いブロック石が平らに整えられた川の底に並び、
どんどん自然が無くなっていくようでイヤでした。
瀬や淵は無くなり、魚や生き物の姿が見えなくなりました。

でも、自然を壊すようにみえた工事は、川の治水工事だったのですね。

鴨川は、京都市北西部の桟敷ヶ岳(さじきがたけ)をその源流とし、雲ケ畑を経て、鞍馬川を加えた後、上賀茂付近で京都盆地に流れ出ます。
その後、出町付近で、北東から大原、八瀬を流れ下ってきた高野川と合流し、さらに四条大橋上流で白川を加えた後、京都市の中心部を貫流しながら南西方向に流れを変え下鳥羽付近で桂川に注ぎます。

そんな鴨川は、白河法皇に「天下三不如意」と言わしめるほどの暴れん坊だったようです。

京都市内に大きな被害をもたらしたのは、昭和10年の鴨川大洪水だそうです。
この水害で、鴨川ではかろうじて破堤は免れたものの、死者12名、家屋流出137棟、家屋全半壊158棟、浸水家屋24173棟、三条大橋をはじめ30を超える橋梁が流失する未曾有の被害に見舞われました。

昭和11年からの大規模な治水工事のお蔭で、昭和34年8月の洪水においても大きな被害を免れることができました。

自然が失われたように見えた工事は、自然との共存の工事だったのです。
そのおかげで、80年近く被害は起こっていません。

 

 


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