名 称:落柿舎(らくししゃ)
松尾芭蕉の弟子、
向井去来の別荘として使用されていた草庵で、
去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。
古い家の周囲には40本の柿の木があったという。
庭の柿を売る契約をしたのちに、
柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。
1691年4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して
嵯峨日記を著しました。
野沢凡兆、凡兆の妻の羽紅、
去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。
現在の庵は俳人井上重厚による再建である。
場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっています。
平成20年12月1日から平成21年9月末まで
庵の大規模な修復工事が行なわれました。
タンポポの『嵯峨野さやさや』の2番で
「雨の落柿舎 たんぼ道」の歌詞で歌われています。
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