名 称:来迎院(らいごういん)
属す寺院です。
寺伝によれば、空海が唐で感得した荒神像を安置して来迎院を
開創したとされています。
その後、泉涌寺第4世月翁智鏡が諸堂を整備を行いましたが、
応仁の乱の兵火により炎上し、荒廃しました。
その後1574年、舜甫明韶が織田信長の援助により再興、
1597年には前田利家が諸堂の再建を行い、徳川家からも援助を
得て経済的な基盤も整い、ようやく復興を果たしました。
当院の荒神像は胞衣荒神と称され、皇后宮安産の勅願所として
信仰を集めました。
元禄14年、赤穂退去後の大石良雄は山科に居を構えたが、
実際には多くの時間を来迎院で過ごしたと伝えられています。
当院には大石の建立と伝える茶室含翠軒や大石ゆかりの
勝軍地蔵像が伝えられています。
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